私たちの強み

キャリアアップ事例 Case 02

Case 02EL系エンジニア 
菊井 孝 さんきくい たかし
1989年キャリア入社 52歳

逃げない。あきらめない。答えは必ずある。
「何とかしてくれる男」の呼び名が勲章。

これまでの
主なキャリア
1986年専門学校電子工学科卒業後、電子機器メーカー入社 1989年メイテックフィルダーズ入社
精密機器メーカーで現金自動預け払い機の検査を担当
1991年電気メーカーでビデオテープレコーダーの設計・評価・を担当 1995年電気メーカーの研究所でPHS中継器の研究開発を担当 2012年同電気メーカーの事業部でリチウムイオン電池制御機器の開発設計を担当

「私は、どちらかと言えば技術力よりも人間力で仕事をしてきたと思います」という菊井 孝さん。お客様からは「彼に任せておけば必ず何とかしてくれる」と高く評価され、同じお客様先で20年以上働き続けています。「逃げない。あきらめない。答えは必ずどこかにある」を信条とする菊井さんの、こだわりの仕事ぶりをご紹介します。

My Best JobPHS用中継器開発を16年間担当。電気系すべてを任される

私のキャリアの核にあるのは、1995年から約16年間担当したPHS中継器の開発です。
PHSは電波が弱いため、屋内・ビル内では中継器が必須でした。当時はPHS自体が未知の機器でしたから、お客様を含めたスタッフ全員が勉強からのスタート。私自身もマイコン制御や電気回路設計の基礎から学び直しました。
PHSの売上が伸びなかったこともあり、やがて職場の中で電気系のエンジニアは私一人に。まったく知識のない電波や通信関連から工場設備への助言、電波法に関する認可申請まで、すべてを任されるようになります。
特に苦労したのが、PHSの需要減で専用のICチップが次々と製造中止になったことでした。コンデンサやトランジスタなど個々の部品を買ってきて回路を組まなければならず、しかもモデルチェンジのたびにコストダウンを求められ、頭を抱えました。ただ、私は技術的な壁に出会うと燃えるタイプなのです。100%は無理でも、絶対に何とかする。オシロスコープを手に回路の抵抗や電圧を測り、部品が少なくノイズや発熱も最小になる回路を探し続けました。「逃げない。あきらめない。答えは必ずどこかにある」というモットーは、こうした中で培われました。
コストダウンの実現などを経て「菊井に任せておけば何とかしてくれる」と、人づてにお客様からの評価を聞いたときには、とてもうれしかったです。

これまでの経験の数々ソフトも回路も「何とかできる」は、逃げずに取り組んできた成果

やがてPHSの時代が終わり中継器のチームが解散した際、同じお客様内の別の部署からお声が掛かり、現在に至るまで充電池の制御回路設計を担当しています。電気系分野の担当は、またも私一人。相変わらず「菊井なら何とかするだろう」と任せてもらっています。
近年主流のリチウムイオン電池は、一定以上の電圧をかけると発火する恐れがあり、繊細な制御が求められます。マイコンが充電容量や有効寿命を常に測定・計算し、それに見合った充電・放電を行います。少し前、開発中の回路で原因不明の不具合が発生しました。しかしソフトウェアと電気回路のどちらにも問題が見当たりません。この時、PHSの中継器で部品一つ一つをチェックしていた経験と、20代でビデオデッキの評価試験を4年間担当していた経験が活きました。私はトラブルの内容から、その原因となる部位や状況をおおよそ推察できるのです。時間はかかりましたが、ある特殊な状況下でソフトと回路の連動が乱れることを突き止めました。
評価試験も、オシロスコープでの計測も、やっている時は単調な作業に感じましたが、その積み重ねはエンジニアの底力になっていました。今の私は、プログラミングこそしないもののソフトやマイコン制御について一通り分かりますし、集積化されたICチップの中で何がどう処理されているかも分かります。「どんなときも何とかできる」のは、逃げずに取り組んだ仕事のおかげなのです。

エンジニアに必要なこと徹底的に“現物”に触れてきたことが、設計の原点

設計開発の現場で自動化が進むのは、時代の流れです。評価・試験はセットしてボタンを押せば機械がやってくれます。今の若い電気系エンジニアは職場でオシロスコープなどほとんど使わないでしょう。けれど私は古い人間なので、ものに触れずに設計するなど、怖くてできません。今、私が「電気設計エンジニア」と名乗れているのは、徹底的に現物に触れてきたからだと信じています。
若いエンジニアにも同じ経験をしてほしいと、メイテックフィルダーズ社内で「電気塾」という勉強会に参画しています。実際に配線をして、電流や電圧を計測して、マイコンとつないで制御して。壁にぶつかった際に「基本に立ち返る」のは仕事の王道ですが、今の若者は基本を素通りしてしまっている人が多いので、せめて研修で体験してもらいたいのです。
昔も今も、私は分からないことがあるとどんどん質問します。もちろんまずは自分なりに調べ、「何が分からないのか」をはっきりさせてから聞きます。周囲からは「菊井は常に声を上げるから、仕事がどこまで進んでいて今何が問題なのか、すぐ分かる」と言われます。やかましいでしょうが、常に周囲を巻き込み、なんとか着地点を見つけるのが私のやり方です。「エンジニアは、技術力と同じくらい人間力が大切だ」と、つくづく思います。
もしチャンスがあるなら、新たな環境で自分の力がどこまで通用するのか、試してみるのもいいですね。50歳を過ぎても、チャレンジ精神は消えていませんよ。